wish |
「ヴェノム貴方は…ザトーの言うことならなんでも正しくて、なんでも受け入れるべきものって思っているのね」 ミリアがただでさえ鋭い目を更にきつくして、私に問いかけてくる。 組織の廊下。なんの変哲もない、冷たい壁に囲まれつつ、私とミリアは対峙していた。 「ザトーは、貴方がさぞかわいくて仕方ないでしょうね。いつでもどこでも忠実で…」 いつになくミリアが激昂している。いつもならばすれ違っても、冷たい一瞥をくれるだけなのだが。 「…今日はやけに絡んでくるのだな」 私の一言に感じるものがあったのか、ミリアはそのまま無言で立ち去っていった。 「違うだろうミリア。…愛されているのは君だろう?」 そうひとりごちた私の声が聞こえたか、聞こえなかったか。私には知る由もない。 「…私らしくもないわね」 私は、広い敷地で一番大きい、眺めのいい木の上に座って自嘲していた。 ここからの眺めはとても美しい。空に近くて、自然と心も体も解放された気分になる。 「そこで何をしているのです、ミリア」 聞き慣れた低い穏やかな声。この声を心地よいものと感じていたのはいつまでだっただろう? 「…貴方には関係ないこと」 私はわざと突き放すような口調で言った。その男が次に言う言葉を知りながら。 「部屋に戻りなさい、ミリア。その木に登ってはいけません」 自分が自分であることを認識できないような幼い時から、私は彼の側にいた。幼い私にとって彼は絶対の存在であり、真実だった。 影を従えた盲目の頭領。 幼い記憶の糸を解きほぐしても、私に対する彼は少しも変わっていない。 変わったのは、私。 「ザトー様、お時間ですが」 気がつくとザトーの側にヴェノムが佇んでいた。先程の事もあって私は顔を背けた。今はとにかく顔を合わせたくない。 「わかりました。…ヴェノム、ミリアをよろしく頼みますよ」 ザトーはそう言い残し、去っていった。 「君はいつまでそこにいるつもりなのだ」 ヴェノムが聞いてくる。無論、私はそれに答える気など、無い。 埒があかない。 ミリアが何かに固執して、その場を離れようとしないのはわかる。だが、それは私の理解の範疇を越えていた。ミリアを説得しようにも、ミリアが望んでいる答えを私は持っていないだろう。 正直、ミリアの内面には興味がない。だが…。ザトー様の命令をおざなりにするわけにはいかない。 私は木に手をかけた。 身の軽いミリア程ではないが、私も暗殺者として常人にはない身のこなしができる。すぐにミリアが座る太い幹に登りついた。 ミリアはさも嫌そうに眉をひそめた。 「降りたまえ。君にとってこの場所が危険なものではないことは知っている。だが、ザトー様は良く思っていらっしゃらない」 私の呼びかけにももちろん無言だ。私はミリアの腕をつかんだ。引きずりおろすしかない。 「もう少しスマートな方法があればよかったのだが」 私は、ヴェノムの腕を冷たく振りほどいた。予想していたのか、ヴェノムには大した驚きがない。 「ザトーにとって本当に必要なのは貴方だわ…私じゃない」 だから、私を自由にして。 何もかもがわずらわしい。私を気にかけるザトーも、そのザトーの言葉を忠実にこなそうとするヴェノムも。 「なぜそう拒否の言葉しか語らないのだ。…君は何か勘違いをしているのではないか?」 「勘違いしているのは貴方よ」 私は大声で反論した。いつになく感情を吐露する私に、ヴェノムは多少とまどたようだった。 だがしかし、すぐに平静な口調で言ってきた。 「私が勘違いしていようが、君が勘違いしていようが関係ない。全て、ザトー様のご意志通りに事が運べばそれでいい」 「…だから、私は貴方が嫌いなのよ」 ことさら声を低くして私は吐き捨てるように言った。そして、そのまま宙に身を投げた。 私にとっては大した高度じゃない。地面に足がつくと同時に私は駆けだした。どこへ行くのか、思いも浮かばなかったが。 私は走り去るミリアを見つめていた。部屋に戻るまで監視する必要があったのだが、なかなか動く気にはなれない。 結局、彼女の思考は私には理解しきれない。いや、私は彼女の思考を理解したくないだけなのかもしれない。 このままでは見失う。私は思考をやめ、ミリアに習うように木から飛び降りた。 死臭をまとった男。この男は、私の組織に暗殺依頼をする為に訪れていた。取引相手としては申し分がない。だが。私はただひたすら嫌悪感を感じていた。 この組織の頂点に上り詰めるまで私が手に入れたものは何だったか、そして失ったものは何だったか。 私の体にも、この男と同じ死臭が間違いなく染みついている。 ふと、ミリアのことを思い出した。汚れを知らぬ黄金の髪の少女。純粋な魂に触れて、血にまみれた自分の体の腐臭から目を背けたかった。 私が血に塗れた手であの子を拾いあげたのはいつだったか。 ミリアにだけは、ヒトを殺める術を教えたくなかった。守り抜いてみせようと思った。 結局私の側に置きすぎたことで、彼女がそれから逃れられなくなってしまった。皮肉な結末だ。 私の罪深さが、彼女を地に縛り付けてしまったのだ。だが、そんな殺戮の場に置いても彼女の魂は汚れなかった。 血にまみれつつ、汚れのない蒼い瞳を爛々とさせ立つ彼女を私は、心の底から美しいと感じた。 彼女があの木に登る度に私は底知れぬ恐怖を感じていた。いつか、私を置いて、その高みから空へと飛びたってしまうのだろうか。 ミリア、汚れない魂。どうか私を赦してほしい。 汚れてしまった私の魂を、肉体を、存在を、赦してください。 それが、私の望み。 私は貴女がうらやましい。 ザトー様の過去を赦し、今を励まし、未来を信じさせる力を持つ貴女が。 ザトー様にとって貴女がそういう存在であるように、私にとってザトー様は私を赦し、励まし、未来を信じさせてくださる方。 何も持たない私には、それが全て。 私の存在はザトー様があってこそあり得るもの。 貴方がいるから私はどんなことも恐れずに生きていける。 貴方が望むことを、私は全身全霊を持って叶えて差し上げたい。 貴方が幸せであることが私が幸せであることに繋がるのだから。 私は私が常に貴方の一部であることを望んでいるのだから。 私は貴方がうらやましい。 全てを赦し、受け入れ、信じれる貴方が。 いつも冷たく突き放すのは、本当の私を悟られたくないから。 私の魂は本当は、いつも強がっている、ちっぽけで臆病な存在。 甘えることが怖くて、自分自身もだましながら私はいつも前を向いて立つ。 弱気な私を愛せる存在なんて、ない。 全てを受け入れる事は、私自身の全てを託すのと同じだ。 だから、お願い、私を見ないで。私を求めないで。 私をどこか遠くへ逃がしてください。 |
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prezented by Akasa Rira 2002 |